あれから3年。

あの東日本大震災から3年が経った。
日々の暮らしの中で当時の記憶は薄れていくけど、
この時期が近付くと読み返す3年前の日記で当時の緊迫した雰囲気が蘇ってくる。
あの頃は錯綜する情報の中で1日がすごく長く感じて最初の3日間ぐらいは家族、親せき、地元の友達の安否確認をしていたなぁ。
その後は原発の危険性が増してきてせっかく地震と津波から助かった命が別の驚異にさらされたり
物資を送りたくても輸送ルートが封鎖されていて逐次HPで受付状況確認しつつ
米や水、日用品を買いにいろんな店に回ったり。
山梨でも計画停電が実施され始まったから自分達の生活も不便に感じながらも
故郷よりはまし、という強い気持ちで動いていたなぁ。

そして昨日は午前中からなんとなく落ち着かなかったけど、
いつも通り買い物に出かけていた。
オギノ(リバー店)で食料品などを買い、レジに並んでいると、2時43分!
え?私、レジでお金払いながらあの瞬間を迎えちゃうの?(汗)
去年は家の縁側に出て市役所から流れてくるサイレンと共に黙とうしたのに・・・
と、焦っていると、館内放送が流れてきて
「今日は東日本大震災から3年です。2時46分になりましたらサイレンを鳴らしますので
皆様、黙とうのご協力をお願いします」
と聞こえてきた。
45分には清算も終わり、袋詰めも終了すると、店員さん、年配のお客さんが直立不動をしている。

そして46分。

館内はサイレンの音だけで、周りのレジの音や袋詰めの音や話し声もやみ、
みんなその場で黙とうを始めた。
私もカートを傍らにおき、袋詰めの場所の前で佇んで黙とうをした。
通路でショーケースに手を添えて体を支えながら黙とうしているご老人もいた。
店員さんだけではなく、買い物にきていた客全員がそれぞれの場所で立ち止まって黙とうをささげるのは
家や学校や被災地よりかえって勇気のいることなんじゃないかと思ったけど
その場にいた全員が同じ気持ちでいたことが少しうれしくて
山梨県民もなかなかやるなーと感心してしまったのでした。

小学校でも、幼稚園でも黙とうしたらしい。
はるぼうは当時幼稚園の年少で保育参観の時だったから
震度5の地震の時着替えの途中で上履きも履かず園庭に避難したことを今でも覚えているらしい。
ひよりんは当時1歳半で、その保育参観の時私が抱っこして園庭に避難したけど
もちろん覚えてはいないので、昨日幼稚園で黙とうをしたことを
「今日はねー、地震で死んじゃった人がたくさんいておめめつぶっちゃったんだって。
だからみんなでおめめつぶったの」
と、先生の説明と現実が混ざった妙に怖い説明してたけど(汗)
でもうちには福島民報といわき民報から出ている東日本大震災の写真集があるから
物心がついて、過去に起きたことを詳しく調べたくなったら見せてあげたいと思います。
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by say-na | 2014-03-12 11:47 | 東日本大震災

4月から不定期ながらも水曜日に甲府のぐらんまはうすをお借りして集まってきた、
東北ママの会in山梨。
メンバーは東日本大震災後、山梨に避難してきた宮城、福島のママさんと
私のようにしばらく前から山梨に住んでいる東北出身のママさんで構成されています。
集まって、特に何をするでもなく子供を室内とお庭で遊ばせながら
ただ話すだけの集まりではあるけれど、気軽に地元の話ができるってのがいいのよね。
「あそこは除染がまだ進んでいないねー」とか
「一時帰宅は許されたらしいけど、将来子供と一緒に長く住むというと・・・」
みたいな、ディープな話もできるので。



春は月に3、4回ここに集まったり
夏は公園で水遊びをしたり、たまにランチをしたりもしていましたが
来春から幼稚園に入園する子がちらほらいるし、
ママ達の生活スタイルも変わるかも・・・ということで、
会は解散するわけじゃないけど、定期的にここに集まるのは最後にすることにしました。
12月だし、今日はいつものお弁当タイムに加えて、
クリスマスっぽくケーキをみんなで食べることに♪


M理事長とスタッフのYさんも輪に加わってもらいました(^^)
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ここに集まるのも今日で最後だなぁ・・・
今日は代表が休みなので、副代表の私から理事長に挨拶しなきゃなぁーと、
頭の中であれこれ考えていたら、
理事長からいろいろと提言があり、来年3月まではまたお世話になることになりました(^^)
科学館に行く企画もあるそうで、楽しみです♪
実は山梨に避難しているママさんで、周りとうちとけることができず
いわゆる孤独育児に陥っている方がまだまだいるそうで、
そんな方を発掘できたらいいなと、改めてこの会の活動を少し宣伝してもらうことにしました。
ネットで検索すればなんでもひっかかる世の中ですが
避難してるとパソコンもなく、ガラケー使ってまで検索する人も少ないし
毎月3000円かかる新聞を取る余裕もない人も多いから
情報不足により孤立しているママさんはいるんだろうな・・・
私は山梨に住んで8年。
今では山梨の友達も増え、隣近所のつきあいもできて
実家が遠くても周りの支えがあって暮らしていけてるんだなぁとしみじみ実感することがあります。
今では山梨大好きで、県外の友達にやたら甲州ワインを宣伝してるし(笑)
避難してるママさんは、今は一時的な避難で山梨に住んでるとしても
その間は住んでる場所を大好きになってほしいなー。





そして、今まで無償で場所を提供していただいたお礼に
雑巾とテーブルふきんを寄付したのですが・・・


なんと理事長とちびっこはうすスタッフの方より、
子供達にはボール、ママにはお花のプレゼントをいただきました!
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「お母さんも毎日育児をがんばっているからね♪」
とのことですが、感激です!
本当にありがとうございました!
これからも、しばらくお世話になります(^^)



あと、7月に東北ママの会として参加したフリマの売り上げは
震災遺児・孤児を支援している桃・柿育英会 東日本大震災遺児育英基金に寄付することにしました。
ほんの少しですが、なにかの足しになりますように・・・
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by say-na | 2012-12-12 17:40 | 東日本大震災

久々の地震

昨日久々に大きい地震が来たので覚書を。

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12月7日、午後5時18分頃、東北と関東で震度5弱の地震がありました。
震源地は三陸沖で震源の深さは10km。
マグニュチュード7.3。
東日本大震災の余震で海溝の外側が震源地となる「アウターライズ地震」との見解。

青森、岩手、宮城では避難指示や勧告をだし
宮城では1万8千人、岩手では5500人が小学校などに避難した。


************************************


あれからもう1年9ヶ月経とうとしてたのにねぇ。



山梨は震度3と4のところがあって、甲府盆地内はみんな3でした。
この時、私は子供2人を連れて小児科に来ており、隣の調剤薬局で薬を待っているところでした。
ソファーに座って雑誌を読んでたら、なんかソファーが揺れてる感じ・・・
自分がなんかしびれでも起こしてるのかと思いつつ、ふと隣の窓を見たらビリビリ振動が伝わってる!
これは、3.11の地震の時、幼稚園の保育参加で廊下にいて
ふと窓を見たら振動でガタガタいっていたあの状態に似ている・・・地震?!
患者は我が家しかいなかったので、思わず受付のお姉さんを見たら
「・・・地震ですよね!」と発したのと同時に、調剤室から薬剤師さんが出てきて
「シロップ入れてたらなんか手元が揺れるなぁと・・・地震ですよね?」
と言って、大人達の間で緊張が走ったのでした。
子供たちは片隅のキッズスペースでおもちゃで遊んでいたので
すぐに真上の天井の様子を見たけど、本人達は気が付いてない様子(^^;
それでも、ここの小児科も薬局も建てられたのがまだ3年半と新しいので
多少の揺れで崩れることはないだろう、と信頼もしていました。
しかし、あれだね、人間はパニックを共有するとなんか連帯感みたいなのができるね(笑)
その後、薬もらうまでも薬剤師さんとペラペラよくしゃべってました(笑)


家に帰ったのはもう外が真っ暗になった18時。
そしたら家に灯りがついていて、旦那が先に帰宅していました。
旦那は会社から帰宅途中の車の中で地震に遭遇したらしいけど
帰宅したら家が真っ暗で子供達がずっと帰って来ないってのは不安だったに違いない(^^;
3.11の時はたまたま保育参観で幼稚園に私もひよりんも行ってたから
他の園児含め親子で避難して親子で一緒に帰宅したのは不幸中の幸い。
今回も子供2人一緒にいる時に遭遇したので私の目が届いて安心したのでした。
これが、子供が小学生になっていて、習い事の帰りで1人の時だったら不安でしょうがない。


帰宅後はしばらくNHKに釘付けで、
避難警報が発令された宮城県沿岸に1Mや20cmの津波が確認と聞き
その後大きいのが来ないか心配だったけど、しばらくして解除されて安心したのでした。
福島は津波注意報ぐらいだったけど、生きた心地がしなかっただろうな。
生活が立て直されてきた被災地の人たちをまた悲劇が襲うのは本当に勘弁してほしい。


久しぶりに緊張が走った日でした。
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by say-na | 2012-12-08 07:24 | 東日本大震災

東北ママの会in山梨

某SNSを通し、震災後山梨に避難してきたママさん達と連絡をとったり
時々ランチや育児支援センターで会う機会を設けてきましたが、
このたび、育児支援事業を行っているNPO法人ちびっこはうすさんの協力をもとに
ちびっこはうすさんが以前託児所として使っていたぐらんまはうすを
山梨に避難しているママさんの集まる場として利用できることとなりました。

そして、6日に打ち合わせ兼YBSの取材があり、
その様子が9日のニュースで放映されましたー!
私、アナログ人間なんで、テレビ画面をそのままデジカメで撮って
アップしちゃいます(笑)



ちゃんと特集として組まれ、何度も予告されてました。
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あ、私、すでにいる?
なんか横に1.5倍ぐらい伸びてる気がするけどー。
実在は自分が思うより1.2倍は伸びてるんだろうな(笑)



避難してるママさんの集まる場として提供していただくことになった
ぐらんまはうすです!
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山梨では名前だけは聞いたことがある方が多いかもしれませんねー。
2月まで託児所で使っていたそうです。




右の宮沢先生(理事長)さんのお話をみんなで真剣に聞いています。
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宮沢先生は名古屋出身で、山梨に来た時は周りに知り合いが誰もなく
育児する上では小児科の先生よりも、保健師さんよりも
なによりも共感し合える仲間がほしくてまず自分でサークルを立ち上げ
今のちびっこはうすに繋がったのだという・・・
私も子供2人を里帰り出産せず山梨で生み、育ててきたので
ものすごく共感できました。
そして、この共感があるからこそ、
山梨に避難してきたママさんが他人事とは思えなかったのよね。




たまに「かーちゃーん!」ってひよりんの声が入りつつ、映像は進む。
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そして参加者で自己紹介していきましたが、
みんな、胸につかえていた思いがあったのか、涙。。。
私ももらい泣きしてしまったわ。。。
きっと、こういう話って児童館や公園で仲良くなった地元のママさんには
気軽にできないだろうから
同じ思いとした者同士で集まって話すのって、大事なことだなと思いました。



今回はSNS繋がりのメンバーが集まっただけだけど
今後、山梨に避難している、福島だけでなく
岩手や宮城のママさん達が気軽に参加できるようにと
会の名前を「東北ママの会」と名付けました。
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ひよりん、名前を背負っていい位置に立っています(笑)



そしてこの日はYBSの取材も来ましたが、斉木洋子さんも来てくれました!
山日掲載の「アラフォーママがいく!」は楽しく読んでるので
実物にお会いできてうれしかったわ~♪
私が東京にいた頃、よくTOKYOFMで聞いていたのと
私と同じ7年前に東京を去り山梨に来たというので、
縁を感じてしまいました♪
個人的にもたくさんお話させていただいてうれしかった~(^^)




今日は正式な1回目として集まり、新たな参加者も迎えまたいろいろとお話をしました。
午後からは小瀬公園でお花見の予定でしたが、天気が不安定なので
室内でお弁当を食べてから、散歩がてらお花見をしました♪
時々弱くなる雨の中、子供達は元気に走り回っていたなぁ~。
雨の中のお散歩花見になっちゃったけど
去年の春は山梨の桜を見てないメンバーが多かったから
見せられただけでもよかったかな?
でも「夜の森公園の桜にはかなわないよね~」
なんて意見もでたけど(笑)


東北ママの会は4月は18日と25日に集まることが決まっているので(5月は未定)
もし、身近に山梨に避難しているママさんがいましたら
ぜひご紹介ください♪
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by say-na | 2012-04-11 23:48 | 東日本大震災

福島ママ会。

そろそろ東日本大震災から1年。
山梨にも福島から約800人もの人が避難してきているようです。
その中でSNSを通じて知り合った福島ママさん数人と会う機会ができ
先週末は2ヶ月ぶりに集まってランチをしてきました~♪
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浪江出身のSちゃんが12月下旬に出産したので、お祝いも兼ねて。



座布団におさまるこのサイズ!
小さくてかわいい~~。
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縁あって山梨で生まれたRちゃん。
いろんな人達にかわいがられて幸せに育ってね♪




そして、この土曜日に集まった時に話題になった店があったので
翌週の火曜日にまたまたさっそく集合(笑)
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メンバーは1人入れ替わってます。
福島ママで集まると懐かしい地元の訛りが聞けてキュンとします(^^)
山梨の方言と福島の方言で似てるところがあるよね~って話もあり
でも訛りは全然違うよなぁ~と思ってみたり。
訛りにしても、同じ福島でも中通り、会津、浜通りって違くて
特にいわきは浜言葉だからきついのよねー(汗)
そしていまだにイントネーションにくせがある私・・・
標準語マスターする前に甲州弁に染まりそうです(^^)




よく、避難してきた方との交流というと、ボランティアとか支援者、ってイメージがあるけど
お互いに子供がいると支援する側、される側って立場ではなく
同郷繋がりのママ友☆、というフランクな感じ♪
まだ山梨生活は不慣れなところもあるだろうから
先住民(爆)としてなにかお手伝いができたらいいな~と思っております♪

去年の春は桃や桜を楽しむ余裕がなかっただろうから
お花見ピクニックでも企画しようかと思索中。
フルーツ公園連れて行っちゃうぞ~♪
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by say-na | 2012-03-02 00:34 | 東日本大震災

がんばっぺ。の出会い。

今日いつも通りに幼稚園にお迎えに行った時のこと。

駐車場があやうく満杯になるところで
後ろに止まっている車に運転手のママさんが乗ったままなことに
プレッシャーを感じつつもギリギリまでバックして止め
はるぼうを引き取り、急いで車に戻ってきました。
後ろのママさんに「今出ますんですんませーん」みたいに頭を下げたところ
「あのー、失礼ですが。」
と呼びとめられた。
うわー、私なんかしちゃったかな?もしやぶつけてた?
と内心ドキドキしていたら
「あのー、いわきの方なんですか?」
と、まさかの質問。
あ、あれ~~?
もしや、車のリアウィンドゥに貼ってある
「がんばっぺいわき」のステッカーに反応してくれたのかしら?


前に日記に書いたこれね。

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4月から貼っているのですが、
たまにコンビニに車を止めてて乗ろうとした時ガン見したおっちゃんがいたと思ったら
その方は水戸ナンバーだったり(きっと親近感を持ったのね)
赤信号で止まっている時、後ろの運転手が明らかにガン見してて
その車を見たら「がんばろう日本」ステッカーが貼ってあったり
(なにかシンパシーを感じたのね。私はいわき限定だけど(爆))
いろいろと収穫はありました。



・・・と、そのママさん、次に出た言葉が
「実は、私もいわき出身なんです。」
だってーーー!!
山梨に来て7年、初めていわき出身の人に偶然会ったよ!
ちょっと連絡をとった事がある山梨の福島県人会の会長さんや
いわきに住んだことがある浪江町出身のママさんに会ったことはあっても
純粋にいわき出身で偶然の出会いはほんと初めて。
東京ならまだしも、山梨まで流れてくる人ってあまりいないからねー。
余談ですが、この震災後、山梨に避難している福島県人は
約900人もいるらしい。
今後、ますます会う機会は増えてくるだろうな。
先人としては山梨の良さを伝えていきたいところだがっ。


そして、すぐにいわきのどこ出身かの話になり
その方は勿来(なこそ)とのことだった。
「ああー、海に近いし津波の被害は大丈夫でしたか?」
と言ったら「津波のほうは大丈夫でした。
でも、山梨で勿来をわかる人がいてうれしいー」
「確かに、勿来って漢字だと読んでもらえないことも多いですもんねー」
と内輪ネタで盛り上がってしまいました。
よくも悪くも、いわき出身ということで
すぐに東日本大震災の話が出て、
津波、地震の被害、放射能の懸念など短時間で話題が出たけど、
山梨に住んでるとこの話を日常でするということはなくなってしまったなぁ
と改めて震災が風化してるのを感じます・・・


その方は年長児のママさんだったので
今まで接点がなかったんだけど、たまたま前に車を止めたことで
ひょんなことから一気に濃い縁が出来た気がする。
これも一期一会。
「がんばっぺ」の出会いですな。


山梨に避難している同郷の人が偶然目にして
元気になってくれたらうれしいなぁーとの思いから貼ったステッカーですが
こうした出会いもうれしいものです。
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by say-na | 2011-10-21 22:33 | 東日本大震災

あれから半年。

先週後半から、テレビや新聞は
「3.11東日本大震災から半年」「9.11同時多発テロから10年」の特集ばかりでしたが
節目として私もやはり気になっていました。

お盆には実家から「いわきの記憶」という、
いわき民報社が発行した写真集が届いてたので
時間がある時にじっくり見てましたが、
今まで見てた新聞や福島県全体の写真集よりも
より地元の惨状がくわしく載ってたので身につまされる思いでした。


今更感もありますが、節目節目に忘れない為にも
写真をいくつか掲載します。
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表紙は小名浜港。
高校時代まで住んでた実家はここから歩いて15分。



港だけあってコンテナや駐車場に止まってた車が水面を漂ってます。
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GWにはいつもこの近くの旅館に泊ってるので
そんな時津波が来たらと思うとゾッとします。



そして小名浜港に隣接している、水族館アクアマリンふくしまも津波にのまれ
裏手にあたるこの信号付近や道路もこの状態。
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この白い車の上につかまってるおじさん、最終的に助かってよかったねー。
このまま波に飲まれちゃったらカメラマンの胸も痛むよね。。。
あっという間に水かさが増す津波の恐ろしさを物語ってる。
この時、15時40分。




17時10分前後。
水に浸かった港町が夕陽に照らされてます。
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右下の男性は、水没して動かなくなった車を
押して移動している様子・・・・




っと、おーっと、うちの兄だ!!(爆)
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そう、実は兄が写真集に掲載されてると聞いて、
実家から送ってもらったのだー。
あの日、勤め先で震度6強の地震にあい、
すぐに退社命令が出されたので車で帰宅しようと思ったものの、
道路は歪み、亀裂が走り、車が浸水地にはまってしまったらしいのよね。
そうなるとエンジンも動かず、ラジオも聞けず、
津波情報が入らなかったのかもしれないが、
動かなくなった車を、兄は真面目に押して動かしてたそうな。
勤め先は植田の近くなので国道6号を押していると、
道路整理の人に「ここは通れないから(道路が亀裂してるせい?)
港のほうを経由してくれ」と言われたらしく
サンマリーナから小名浜の産業道路に抜ける辺りを押して歩いたと思われる。
しかし、その話を後から聞いて、
津波が来てるっていうのに、そんな海のほうに迂回させなくても!
そして素直にそっちのルートをとる兄も危機感がないー!
なんて思ったけど、停電と車のエンジンが壊れたせいで
現場にいる人達は情報が入らなかったんだろうな。
なにより、こんな真剣な表情の兄を見るのは久しぶり・・・(爆)




そして、翌日会社に電話しても繋がらず、
母の車で見に行ったら跡かたもなく事務所は流されていたとか。
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兄が退社した後の植田の会社付近は津波にのまれこんな状態になっていたので
小名浜に迂回したとしても、ちょうどポイントポイントで
津波の直接の被害を受けなかったのが、
本当に不幸中の幸いでした。
思わず兄に「ある意味ラッキーだったね!写真集にも載ったし
これは武勇伝になるよ!」と言ったが
それは今だから言えることだよねー。



いわき市は03年まで日本1面積が広い市だったので、
各地区の被害状況は様々でした。
北部にある四ツ倉、久ノ浜は原発から半径30kmということもあり
原発事故の影響も受けたのは知っているが、
津波に加え、火事が起きて街が焦土化していた写真には言葉を失った。
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ひどい、まるで空襲を受けた後のようだ・・・
久ノ浜町では、地震発生後沿岸部の商店街から火災が発生し
延焼を繰り返して翌朝にやっと鎮火したらしい。



断水は短くても2週間は続き、住民は給水車まで水を汲みにいったが
その期間、原発は水素爆発を2回も起こしてるので被爆状況が心配です。
住民のみんなもそんな不安を抱えながらも
水がなければ生活はできないので、外に出ざるを得ないのよね・・・
そしてガソリン不足で街は大混乱。
便乗して混乱してた関東はいったいなんだったのかと思うわ。
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そして、やっとの思いで食料を調達にスーパーに行くにも
常磐道が地震の影響で封鎖、いわき北部が原発警戒地域にかかるということで
「いわき全体が放射能で危ない」と風評被害が高まり、
運送会社のトラックが入ってこず、スーパーは品不足になりました。
それでも地元スーパーのマルトさんは地元ルートで調達し
従業員自身も被災してるにかかわらず店を開け続けてくれたんだから偉い!
i&○グループのヨー○ドーやセブン○レブンは放射能怖くてもれなく閉鎖してたらしい。
郵便局や宅急便も閉鎖してたから、こちらから物資を送ることもできず
やきもきしながら毎日運送会社の更新状況をチェックしてました。
結果的に、常磐道の復旧にかかってたらしいけど
すぐに再開してくれたヤマトさん、
いわき脱出を図るために東京便を出してくれたJR高速バスに感謝です!




うれしいニュースといえば、私の中では数年は無理だと思っていた
アクアマリンふくしまが、7月15日に再開したことでしょうか。
そして、一時避難所として使われてた、スパリゾートハワイアンズは
10月1日に再開だそうな。
もう1年半もいわきに帰ってないけど、おばーちゃんも92歳だし
早いうちに帰りたいなー。
でも10月のはるぼう運動会には、母がいわきから遊びにやってくるので
それより先になりそうだけど。



そして、心残りが1つ。
父方の実家は南相馬市の小高なのだが、
あそこは原発から10~20kmということで警戒地域に入ってしまった。
子供の頃墓参りに通った先祖代々のお墓があるのだが
そこに父が入ってこの9月で5年になる。
高3の時に両親は離婚してたし、葬儀の時ははるぼう妊娠中でつわりがひどかったので
兄妹の中で私だけ葬儀に参列してないので
一度は墓参りをしなくては、と漠然と考えてた。
しかし、小高は放射能値が高いのでしばらく足を踏み入れることはないだろう。
ましてや子連れでなんて。


6日に「あー、2日は太一が亡くなって半年だったな」と思いながら
掃除機をかけていたら、突然掃除機が止まって、うんともすんとも言わなくなった。
フィルターを掃除してみたが動かず、あきらめてそのまま片づけたら翌日動いた。
そして、父の命日に当たる9日に
「あー、今日は親父の5回忌かぁ」と思いながら
掃除機をかけていたら、また突然掃除機が止まった。
フィルターを掃除したばかりだし、おかしいなぁーと、
あれこれしたが、やはりうんともすんとも言わず。
「あー、きっと思い出してほしかったのかなぁ」と思い、
玄関ではあるけど仏花を飾ってみた。
そのせいかわからないけど、掃除機は翌日には動き
それ以降、何事もなかったかのように毎日止まることなく動いている。
電気屋だった親父らしいアピールだと思った。
なぜか太一を思い出した時も止まったけど(笑)
思えば、父の亡くなった日も朝方セットしていない目ざまし時計がいきなり鳴って
不思議に思っていたら、夕方に「今日の午前中亡くなった」
と電話を受けたのだった。
たぶん、本人が知らせに来たのだと自然と受け止めたのだった。




あらゆる人々の人生を変えた東日本大震災。
そして原発事故。
それでも、故郷には土地としてのただの場所だけではなく
人々の思いが眠っている。
私も夢に出てくる家は、今の家でも、1人暮らししていたアパートでもなく
子供時代過ごした故郷の家である。
津波で瓦礫の山だから、津波の危険性があるから、
原発が近くて放射能の危険があるから、
と、頭ではわかっていても、簡単に捨てることはできないよね。
私にできることは、こうして定期的に記事をあげて風化させないことと
地元の復興をこれからも見守り続けることだけだ。
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by say-na | 2011-09-13 13:55 | 東日本大震災

7月の最終日のことですが、
かねてから雑誌で目にしたチャリティバザーが気になっていたけど
場所は春日居とやや遠いし、日曜日でダンナは仕事だし
どうしよっかな~、と悩んでたのですが
行かないままモヤモヤして後悔するより
とにかく行ってしまえ~、と子供2人連れて行く事にしました。
車で50分ぐらいかな~。
微妙な距離なのよね~~。
でも地図片手に行ってきたわ。



某SNSでつぶやきましたが目的地はここ。
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会場となる笛吹市は、東日本大震災で避難してきた人が多く滞在している場所で
特に原発の放射能を懸念して福島から避難してきた人が多いのです。
石和温泉の旅館組合でも3ヶ月は受け入れ無料をやったり、
今でも定期的に福島から住民を旅館に招待したり、
市民レベルでの支援団体も多く、
福島からの避難者を大事に受け入れてくれてる印象があります。
ちなみに甲州市もそんなイメージ。北杜市もね。
南ア市は・・・公営住宅を無償提供してるぐらいか。



バザーの主旨は、売上金を津波で両親を失った福島の子供達に寄付するというもの。
そして福島から避難してきた人達のブースもありました。
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飯館村の花屋さんから直送されてきたトルコキキョウの束があって、
私も好きな花だし買いたかったけど、
たぶん子供達は真っすぐ帰宅したがらず寄り道するだろうなぁ~と思って
それは買うのは諦めました。



代わりに買ったのが、手作りの携帯ストラップとブレスレット。
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2つで300円なんだけど、これでも寄付の足しになったのかしら・・・
でも、気持ちですっ。



そして、私が来た目的は・・・バザーの売上に協力するというのもあるけど
7年前に山梨に住み着いている元福島県民の私が、
やむなく福島を離れ山梨に流れて来た同胞に、何か声をかけたい、というもの。
励ましたいとか、勇気づけたいといった、上から目線の奢りのようなものではなく、
純粋に話がしたいと思ったのです。


そんなわけで、ストラップ等を買う時に勇気を出して話しかけてみました。
まずは、「みなさん、福島から避難されてきたんですか~?」
と、いかにも地元民っぽい質問で。
そしたら「ええ~そうなんです。南相馬市から・・・」と
やや寂しげな微笑を浮かべて答えてくれました。。。
そこで、こっちは逆に勢いづいて
「実は私、福島出身なんです!あ、といっても7年前に来たんですけどね。
南相馬といえば、父方の実家が小高なのでよく行ってましたよ!」
と、言ったら、今度は顔がパーッと明るくなって
「えー?!そうなんですかぁ!福島のどちらの出身なんですかー!
 (近くの2、3人に声かけながら)この方福島出身なんですって!」
「あ、いわきっス!家族はみんな地元にいます!」
と、なんか盛り上がってしまいましたー。
いろいろ近況を立ち話したあと、
「また、こういう機会があったら顔出しますから!」
と、だけ言って立ち去りました。
少し言葉を交わしただけだけど、でも勇気を出して話しかけてよかったー。
私も初めて地元を離れて千葉や東京で住んだ時、
知り合った人が同郷と知るだけでお互いテンションがあがって
目に見えない絆みたいなものを感じたあの感覚に似てる。



あ、子供2人はヨーヨー釣りやチケットでのお買い物をしたのですが
はるぼうがゲットしたおもちゃくじ(300円)での景品。
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うーん、私はりかちゃん人形派なんだけどなぁ(笑)
300円でバービーゲットできたのはお得かもしれんが
まだひよりんには早いなー。
もれなくタンスの肥やし。
そして抱き合わせ商品になぜかコマ。





帰宅後、そのコマにピーンときたはるぼう。
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トトロのように、まわしたコマの上に乗れば飛べると思ったらしい(笑)
でもやっぱり飛べないので、
「そうだ、トトロは傘をさしてた!」と気付いたらしい(笑)




あ、飛べたよー!
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バービーよりも使えたコマだったのでした。
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by say-na | 2011-08-06 22:49 | 東日本大震災

春望

前の日記で「夏休みには帰省しようかなぁ」と書いたところ、
兄経由で母に伝わったらしく、日曜日に電話が来た。
「楽しみにしてる、気を付けてきてね」とでも言われるかと思いきや
「今年いっぱいは来ないほうがいい」
と言われました。
余震はだいぶ減ってきたが、まだ原発は収束がついていないので
やはり幼いはるぼうとひよりんが来るのは
放射能の影響を考えて心配だと。
自分達はそれなりの歳だし、ここが生活の場だから何があっても受け入れるけど
少しでも危険を感じる場所に子供を連れてわざわざ来る必要はないとのことでした。
私としては90歳過ぎの祖母や1年以上会っていない母と兄、親戚、
そして会いたい友達がたくさんいたのでそろそろいわきに帰りたかったけど
母にそこまで言われたので帰省を延期することにしました。
千葉や都心部で発生しているホットスポットを見ると
いわきとあまり放射能測定値が変わらないので
数日いる分には、それこそ「ただちに影響はない」と言えると思ったのだが
孫を思う母の気持ちを優先させることにしました。
しかし、被災地では「寂しいから早く会いに来てー」と言う親もいるだろうけど
そこを「ここは危険だからお前達は来るな」と娘達を来させない気丈なところが
さすが私の母だなぁと思いました。


最近、福島の今の状況を思うと、杜甫の『春望』を思い出します。
沿岸部は津波の被害が大きく瓦礫の山と化してしまった。
家も家族も失っても、田舎に住む人はその土地しか知らないので
他の土地で1から始める、なんてことはできないだろうな・・・
かたや内陸部では津波の被害はなく地震の被害も少ないので
家も会社も畑も牧場も無事なのに、
放射能があるから故郷を離れなければならない・・・
というのは、もっと心の整理ができず苦しいだろうな。
それでも花は咲き、川は昔の姿のまま流れているんだろうね。
早く、本当の春が来てほしいものです。




国破れて山河在り
城春にして草木深し
時に感じては花にも涙を濺ぎ
別れを恨んでは鳥にも心を驚かす
烽火三月に連なり
家書萬金に抵る
白頭掻かけば更に短く
渾べて簪に勝えざらんと欲す



<訳>
国都長安は破壊され、ただ山と河ばかりになってしまった。
春が来て城郭の内には草木がぼうぼうと生い茂っている。

この乱れた時代を思うと花を見ても涙が出てくる。
家族と別れた悲しみに、鳥の声を聞いても心が痛む。

戦乱は三月に入っても続き、家族からの頼りは
滅多に届かないため万金に値するほど尊く思える。

白髪頭をかくと心労のため髪が短くなっており、
冠をとめるカンザシが結べないほどだ。

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by say-na | 2011-06-28 13:25 | 東日本大震災

100日。

18日で東日本大震災から100日だったんだね。
慰霊祭の様子をテレビや新聞で見ました。
GWはボランティアブームで盛り上がったようですが
今は支援物資も少なくなってきたり
ボランティアに来る人も少なくなったとか。
宮城や岩手では避難所生活の人がいまだにいたり、
福島の人では県外に避難してる人がいる中、
息の長い支援活動が必要になってくるんだろうな。
そんな私は震災後1度も故郷に帰っていません・・・
よく連絡をとってる東京在住の高校時代の友人は
みんな1度は親や家の様子を見に帰郷しているのに。
原発問題はまだ収束を向かえないとはいえ、
余震はだいぶ減ってきたから子供2人抱えて帰郷してもそろそろ大丈夫かなー。
狙い目は、はるぼうが夏休みを迎える7月下旬から8月ってとこか。




前の日記で3月下旬に支援物資を送った高校時代の恩師から
お礼の品が届いたことを書きましたが
同時に送った友達からも先日お礼の品が届きました。
「SAYはお菓子よりもこういうのを喜んでくれると思って」
と言って送ってくれたのが、これ。
地元紙、福島民報社から発行された
震災から30日間の福島県内の写真です。
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よく私の好きそうなもの知ってるなぁー(^^)
私、新聞は隅から隅まで読むのが習慣で
大学時代は新聞奨学生だったほどの新聞好きですから(笑)
山梨にいながらも地震関係の記事は隅々まで読んではいましたが
やはり山梨ローカル紙だと広く浅くなので、
福島の局所的な様子はわからなかったのよね。
そして震災から2週間分の新聞は保存しておいたけど
新聞紙は色焦るし、こんなふうに写真集になってるものをプレゼントされるのは
本当にありがたい。
しかも山梨じゃ手に入らないしねー。



子供の頃よく遊びに行った小名浜港にも津波が押し寄せました。
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船が波にさらわれてます。
車も流され、小名川、船引町辺りまで浸水したと聞きました。
帰省するたびに泊まっていた小名浜港近くの旅館もいまだ休業中です。



小名浜港の観光地ゾーン、水族館のアクアマリンふくしま(左)
小名浜港魚市場(右)
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ああ、去年のGWで遊びにいったばかりだったのに・・・
でも吉報なのが、アクアマリンふくしまは復旧工事が進み
7月15日に再開する予定だそうです。
小名浜復興のシンボルとして今後ともがんばってほしい。
でも漁港が再開できない限り地元産業が活発化しないから
復興とはいえないよなぁ。
地震や津波の片づけができても、汚染水の影響があるから
水揚げができるのはいったいいつになるのだろう。



ひと気がなくなったいわき駅前(右上)
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左下にある、避難所でスクーリングを受ける犬がなんか和む。



震災後すぐは常磐道も東北道も封鎖されてたので
原発の影響で避難する人は下道を強いられました。
いとこも埼玉のほうまで避難したらしいけどこんな状態の渋滞が続いてたので
10時間近くかかったらしい・・・
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当時関東圏もガソリン不足だったから福島から避難する人は
車を乗り捨てる覚悟で来て実際に車を手放した人もいた。
確か18日か19日辺りに常磐道が復旧して東京行きの高速バスが出始めたから
うちの母と兄を東京の妹宅に避難させたのよね。
そして母と兄が避難したことでちょいと一息ついたので
高校時代の恩師と避難せずいわきに残り続ける友達に
支援物資を送るためにスーパーやドラッグストアをまわり
物資不足の中日々必要な物を買い求め、ヤマト便復活を待って送ったのでした。
約3ヶ月前のことなのに、なんか遠い昔の事のような気がします。
1日1日で状況が変わってたからとても濃くて長い日に感じたんだろうな。



地元紙だから、そりゃー原発関連の写真が満載です。
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以前に「福島に希望はあるのか?」と住民に聞かれた東電幹部は
「なんともいえない」と答えたっけ。
県民がまだ住んでいる土地なのに、なんか切り離されたような感覚だったな。



新聞社発行ならではの、1面記事の縮小版もあります。
ちょうど30日分ね。
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後世に伝える為に、この本は大事に取っておくよ。



ふくしまは負けない!
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ちなみに、私は「福島」「ふくしま」は柔らかい感じがして好きですが
「フクシマ」はなんか違う土地のような気がして嫌い。
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by say-na | 2011-06-19 15:56 | 東日本大震災