カテゴリ:ひとりごと( 102 )

初任給の思い出。

昨日車の中で聞いていたラジオで
「初任給の思い出」にまつわるトークをしていた。
リスナーの投稿を聞いてて、私も自分の時を思い出したので
昔を思い出しながら書いてみます(^^)



大学を出て社会人デビューしたのは1998年4月。
初任給はそんないいものでなかったような・・・(^^;
そして4歳下の妹も国家Ⅲ種に受かり、
福島から東京に出てきたので
ちょうど同じタイミングで東京で社会人デビューをしたのでした。

そこで、お互い初任給が出たということで
来るべき母の日のプレゼントを一緒に買いに行こう!と
新宿駅の東口付近で待ち合わせをしたのでした。
当時私の勤め先が新宿の営業所で
仕事後いろんなお店に買い物に行ったり飲みに行ってたので
ちょいと土地勘があったのよね。
いろんなデパートを回った結果、
伊勢丹できれいな青色のサマーセーターを買ったのでした。
受付のお姉さんがポラロイドで写真を撮ってくれたので
そこにメッセージを書いて福島への発送手続きしてもらったなぁ。
妹と写真撮るなんて数年ぶりだなーと思った覚えが。
そして歩き回ったので休憩として
私のお気に入りスポット、花園神社に連れて行って
コンビニで買ったジュースを飲んだような・・・
もちろんファーストフードやカフェはたくさんあったけど
福島に住んでたくせに長らく本籍地が新宿区だった私達としては、
新宿の知られざるスポットを開拓したかったのよねー。
(ちなみに亡父の子供時代を過ごしたのが新宿だった)
そして夜は餃子の王将に行って
姉妹で餃子つつきながら生ビールで乾杯したのが
お互い地元を離れ、時を同じくして社会人になり
その給料でビールを飲んでるなんて
なんか自分達も大人になったなぁーと実感したのでした。


しっかし、この話にはオチがあり、
妹とお金を出して選んだ服が、母にはきつくてきられなかったという・・・
「いつの間にかLになったなんて聞いてないよー!」
と逆ギレしたが、自分がアラフォーになってみると
背中と二の腕がいつの間にか肉厚になっているので
今となっては娘達に贈ってもらった服が着られない母の切なさがわかるようになりました・・・
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by say-na | 2012-04-26 12:36 | ひとりごと

ブータン国王夫妻、今日無事に帰国されましたね。
先日、巷で大きな感動を生んだ国会演説の全文を掲載したいと思います。
実に13分に渡る演説を文にするととても長いので全文記載は迷いましたが、
ネットでのニュースに埋もれてしまうのはもったいないので
記録の意味でも紹介してしまいます。


私はコピペしながら読みましたが、何せ長いので、
心に響いた箇所を青色で記してみました。
全文はお時間がある時にどうぞ♪


***************************************


天皇皇后両陛下、日本国民と皆さまに深い敬意を表しますとともに
このたび日本国国会で演説する機会を賜りましたことを謹んでお受けします。
衆議院議長閣下、参議院議長閣下、内閣総理大臣閣下、国会議員の皆様、ご列席の皆様。
世界史においてかくも傑出し、重要性を持つ機関である日本国国会のなかで、
私は偉大なる叡智、経験および功績を持つ皆様の前に、
ひとりの若者として立っております。
皆様のお役に立てるようなことを私の口から多くを申しあげられるとは思いません。
それどころか、この歴史的瞬間から多くを得ようとしているのは私のほうです。
このことに対し、感謝いたします。
 妻ヅェチェンと私は、結婚のわずか1ヶ月後に日本にお招きいただき、
ご厚情を賜りましたことに心から感謝申しあげます。
ありがとうございます。
これは両国間の長年の友情を支える皆さまの、寛大な精神の表れであり、
特別のおもてなしであると認識しております。

 ご列席の皆様、演説を進める前に先代の国王ジグミ・シンゲ・ワンチュク陛下および
ブータン政府およびブータン国民からの皆様への祈りと祝福の言葉をお伝えしなければなりません。
ブータン国民は常に日本に強い愛着の心を持ち、
何十年ものあいだ偉大な日本の成功を心情的に分かちあってまいりました。
3月の壊滅的な地震と津波のあと、ブータンの至るところで
大勢のブータン人が寺院や僧院を訪れ、日本国民になぐさめと支えを与えようと、
供養のための灯明を捧げつつ、ささやかながらも心のこもった勤めを行うのを目にし、
私は深く心を動かされました。
 

 私自身は押し寄せる津波のニュースをなすすべもなく見つめていたことをおぼえております。
そのときからずっと、私は愛する人々を失くした家族の痛みと苦しみ、
生活基盤を失った人々、人生が完全に変わってしまった若者たち、
そして大災害から復興しなければならない日本国民に対する私の深い同情を、
直接お伝えできる日を待ち望んでまいりました。
いかなる国の国民も決してこのような苦難を経験すべきではありません。
しかし仮にこのような不幸からより強く、より大きく立ち上がれる国があるとすれば、
それは日本と日本国民であります。私はそう確信しています。


 皆様が生活を再建し復興に向け歩まれるなかで、
我々ブータン人は皆様とともにあります。
我々の物質的支援はつましいものですが、我々の友情、連帯、思いやりは
心からの真実味のあるものです。
ご列席の皆様、我々ブータンに暮らす者は常に日本国民を親愛なる兄弟・姉妹であると
考えてまいりました。
両国民を結びつけるものは家族、誠実さ。
そして名誉を守り個人の希望よりも地域社会や国家の望みを優先し、
また自己よりも公益を高く位置づける強い気持ちなどであります。
2011年は両国の国交樹立25周年にあたる特別な年であります。
しかしブータン国民は常に、公式な関係を超えた特別な愛着を日本に対し抱いてまいりました。
私は若き父とその世代の者が何十年も前から、
日本がアジアを近代化に導くのを誇らしく見ていたのを知っています。
すなわち日本は当時開発途上地域であったアジアに自信と進むべき道の自覚をもたらし、
以降日本のあとについて世界経済の最先端に躍り出た数々の国々に希望を与えてきました。
日本は過去にも、そして現代もリーダーであり続けます。
 

このグローバル化した世界において、日本は技術と確信の力、
勤勉さと責任、強固な伝統的価値における模範であり、
これまで以上にリーダーにふさわしいのです。
世界は常に日本のことを大変な名誉と誇り、そして規律を重んじる国民、
歴史に裏打ちされた誇り高き伝統を持つ国民、不屈の精神、断固たる決意、
そして秀でることへ願望を持って何事にも取り組む国民。
知行合一、兄弟愛や友人との揺るぎない強さと気丈さを併せ持つ国民であると
認識してまいりました。
これは神話ではなく現実であると謹んで申しあげたいと思います。
それは近年の不幸な経済不況や、3月の自然災害への皆様の対応にも示されています。


 皆様、日本および日本国民は素晴らしい資質を示されました。
他の国であれば国家を打ち砕き、無秩序、大混乱、そして悲嘆をもたらしたであろう事態に、
日本国民の皆様は最悪の状況下でさえ静かな尊厳、自信、規律、
心の強さを持って対処されました。
文化、伝統および価値にしっかりと根付いたこのような卓越した資質の組み合わせは、
我々の現代の世界で見出すことはほぼ不可能です。
すべての国がそうありたいと切望しますが、これは日本人特有の特性であり、
不可分の要素です。
このような価値観や資質が、昨日生まれたものではなく、
何世紀もの歴史から生まれてきたものなのです。
それは数年数十年で失われることはありません。
そうした力を備えた日本には、非常に素晴らしい未来が待っていることでしょう。
この力を通じて日本はあらゆる逆境から繰り返し立ち直り、
世界で最も成功した国のひとつとして地位を築いてきました。
さらに注目に値すべきは、日本がためらうことなく
世界中の人々と自国の成功を常に分かち合ってきたということです。


ご列席の皆様。私はすべてのブータン人に代わり、心からいまお話をしています。
私は専門家でも学者でもなく日本に深い親愛の情を抱くごく普通の人間に過ぎません。
その私が申しあげたいのは、世界は日本から大きな恩恵を受けるであろうということです。
卓越性や技術革新がなんたるかを体現する日本。
偉大な決断と業績を成し遂げつつも、静かな尊厳と謙虚さとを兼ね備えた日本国民。
他の国々の模範となるこの国から、世界は大きな恩恵を受けるでしょう。
日本がアジアと世界を導き、また世界情勢における日本の存在が、
日本国民の偉大な業績と歴史を反映するにつけ、
ブータンは皆様を応援し支持してまいります。
ブータンは国連安全保障理事会の議席拡大の必要性だけでなく、
日本がそのなかで主導的な役割を果たさなければならないと確認しております。
日本はブータンの全面的な約束と支持を得ております。

 ご列席の皆様、ブータンは人口約70万人の小さなヒマラヤの国です。
国の魅力的な外形的特徴と、豊かで人の心をとらえて離さない歴史が、
ブータン人の人格や性質を形作っています。
ブータンは美しい国であり、面積が小さいながらも
国土全体に拡がるさまざまな異なる地形に数々の寺院、僧院、城砦が点在し
何世代ものブータン人の精神性を反映しています。
手付かずの自然が残されており、我々の文化と伝統は今も強靭に活気を保っています。
ブータン人は何世紀も続けてきたように人々のあいだに深い調和の精神を持ち、
質素で謙虚な生活を続けています。
「両国民の絆をより強め深めるため不断の努力を行う」
今日のめまぐるしく変化する世界において、国民が何よりも調和を重んじる社会、
若者が優れた才能、勇気や品位を持ち先祖の価値観によって導かれる社会。
そうした思いやりのある社会で生きている我々のあり方を、
私は最も誇りに思います。
我が国は有能な若きブータン人の手のなかに委ねられています。
我々は歴史ある価値観を持つ若々しい現代的な国民です。
小さな美しい国ではありますが、強い国でもあります。

それゆえブータンの成長と開発における日本の役割は大変特別なものです。
我々が独自の願望を満たすべく努力するなかで、
日本からは貴重な援助や支援だけでなく力強い励ましをいただいてきました。
ブータン国民の寛大さ、両国民のあいだを結ぶより次元の高い大きな自然の絆。
言葉には言い表せない非常に深い精神的な絆によってブータンは常に日本の友人であり続けます。
日本はかねてよりブータンの最も重大な開発パートナーのひとつです。
それゆえに日本政府、およびブータンで暮らし、
我々とともに働いてきてくれた日本人の方々の、ブータン国民のゆるぎない支援と善意に対し、
感謝の意を伝えることができて大変嬉しく思います。
私はここに、両国民のあいだの絆をより強め深めるために不断の努力を行うことを誓います。

 改めてここで、ブータン国民からの祈りと祝福をお伝えします。
ご列席の皆様。簡単ではありますが、(英語ではなく)ゾンカ語、国の言葉でお話したいと思います。
「(ゾンカ語での祈りが捧げられる)」

 ご列席の皆様。いま私は祈りを捧げました。
小さな祈りですけれど、日本そして日本国民が常に平和と安定、調和を経験し
そしてこれからも繁栄を享受されますようにという祈りです。
ありがとうございました。



***************************************


ブータンは親日国家とは聞いていたが、こんなに日本を褒めて、持ち上げてくださり、
なんともこそばゆい気持ちになりました。
それと同時に日本人が忘れていた自国への誇りを思いださせてくれました。
なぜに日本の中から、こういった発言が出て来ないのだろうか。
お偉いさんはメディアを通して格好のいい台詞をはいたり
お互いの荒探しに没頭し、国民は置いてけぼりの状態である。
なにより、ブータン国王の素晴らしいところは
自分の国に誇りを持ち、今後を担うであろう若き国民を信頼していることである。
自分の国を良く言うことは某C国やK国でもよくあるけれど
それとは違うものを感じた。
ブータンは質素な国かもしれないが、幸福度が高いのが納得できた。

今回のブータン国王夫妻の来日は、今の日本に足りない物を教えてくれた気がする。



余談ですが、高校時代の山岳部の先輩が10年ほど前
ブータンに行ってるんだよなぁ・・・
その時は「あんな秘境までよく行ったなぁ!」
と、上から目線で思ったりもしたのが恥ずかしい・・・
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by say-na | 2011-11-20 16:59 | ひとりごと

15日から来日しているブータン国王。
ニュースで取り上げられているので、目にしてる方が多いと思います。
写真でパッと見、とても若いことにびっくり。
31歳らしい。
前国王の父親はご存命だけど早く経験を積ませるために
06年に王の座を譲ったとか。
そしてあのきれいな奥様もお若いとは思ったけど21歳(!)
最初はそんな若い国王夫妻がどんな目的や心境で今の日本を訪れたのかと思ってたけど
国会での演説、相馬市の小学校訪問での子供達への話をきいて
国王が発する言葉に心をグッとわしづかみされてしまいました。

国会演説の様子はテレビで一部を見て知っていたが
ちゃんとした内容として知ったのは相馬市の小学校訪問で
子供達に語りかけた言葉だったのでこちらを先に紹介します。
今朝新聞で読んで、久々にいい話を聞いたと感動しました。



竜は、ブータンの国旗の象徴。
それをモチーフに子供達に語りかけた。


「みなさんは、竜を見たことがありますか?」
王の問いに子供たちが戸惑っていると、
「私は、竜を見たことがあります」
その一言で子供たちの中からどよめきが上がりった。

竜は一人ひとりの心のなかにいます。
私たちは「人格」という名の竜を持っています。
竜は私たちみんなの心の中に居て、「経験」を食べて成長します。
だから、私たちは日増しに強くなるのです。
そして、感情をコントロールして生きていく事が大切です。
どうか自分の竜を大きく素晴らしく育てていって欲しい




きっと子供達の心にもすとんと落ちた言葉だろう。
「がんばろう日本」
「がんばっぺ東北」
と外から励まされても、現実では福島産の野菜や米は受け入れられず
津波の被害だけじゃなく、原発にもほど近い相馬市では
放射能の不安を抱えながら生活しているはず。
子供達の中にはそんな不安があっても親の事情で土地を離れられない子もいるだろうし、
大人と違って、「なんで自分がこんな目に」
と思う気持ちは強いのではないだろうか。
この国王からの話を聞いて
ぶつける場所がなくやり場のない気持ちを受け止めてもらったような
そんな気持ちになった子が多いのではないかと思った。
ただ単純に「強くなれ」とは誰でも言える。
「自分の人格たる竜を大事に育ててください」
って、一見抽象的なようで見えて、
子供がカッと暴走しそうな時、子供自身で
「おさまれ、おさまれ、心の中の竜よ」
とイメージしやすい気がする。


子供時代に感銘を受けた言葉や経験というのは
逆境にある時でもその事を思い出し、奮い立つことができる。
今、子供達がほしいのは道しるべとなる「言葉」だろうなと思った。
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by say-na | 2011-11-20 02:34 | ひとりごと

1月にあげた、拝啓三十五の君への日記。
15歳だった中学卒業前にクラスのみんなで書いた「20年後の自分への手紙」が
20年の時を経て、同窓会を開いた今年1月に先生から手渡されたというもの。
中学の仲間うちで消息不明となっていた私には同窓会のお知らせは届かなかったけど
人づてに私の現住所を知った当時の級友から
その手紙を幹事が預かっている、という知らせを受けたのでした。

しかし送ってもらう予定だった3月にあの東日本大震災が起こり
いわきでも大混乱が起きたので延び延びになっていました。
手紙を保管する幹事と当時の担任の無事は確認できてたので、
落ち着いた頃に送ってもらおうと催促はしてなかったのですが、
今週ようやく到着し、実に20年ぶりに
15歳の私が書いた手紙を読むことができたのでした。
さすがに幼さが感じられる文面で恥ずかしさ半面
突っ込みどころも満載でおもしろいので原文そのまま載せます(笑)
漢字が少なくひらがなが多いのも誤字もそのままにしました(^^;
ところどころ、20年後の私が突っ込んでます(爆)



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


『20年後のI川せいこさんへ』

今日は平成3年(1991年)3月9日(土)です。
13日の卒業式によせて、3-7のみんなでタイムカプセルをすることになりました。
昨日の8日に学級分散会、6日に部活動分散会でした。
どちらも感動的だったので、20年後の”今”も忘れてないことでしょう。

(ごめん、忘れてた・・・)

20年後のわたしは、きっと女らしくて美しくて日本女性の鏡ともいえる女に
なっていることでしょう。(しかしその頃は35歳・・・)

(えええ?そんな大それたこと書いてたのか(笑))

うーん、夫はいるだろうか・・・とっても心配だ。
(結婚しててよかったね。一男一女に恵まれてるわよ)

それより、この手紙を読む前に、北アルプスあたりで死んでいるかもしれない。
(いや、生きてるし)

今からY高校に行ったらワンダーフォーゲル部に入って
野歩き山登りをするつもりなのだ。

(うんうん、入部したね。楽しい3年間だったね)

大学及び専門学校は、動植物に関するところに行きたいです。
(いやいや、法学部に行ったね。)

して、なぜか国家公務員の資格をとって、環境庁に勤務して、
自然保護に努めるのだ。

(環境庁ってあんた・・・夢でかすぎ!今は環境省だけどね。)

あっ、その頃は、ペルシャ湾の石油はどうなってるかなぁ。
(なんでここで話題が変わるんだろう)

湾岸戦争もやっと終わったし。(1年も続かなかったけど)
そうそう、サダム・フセインはどうなっているだろう。
この手紙を読む前に殺されているかもしれない。
あー、なんか20年後の自分に手紙書いてると思うとワクワクするなぁ。

(殺されてるかもしれない、と書いた後にいきなりワクワクしてるし・・・(^^;)


今の日本の状せい。
(状せい×⇒情勢○)

首相→海部としき
(水玉ネクタイのあの人ね)

天皇降下→平成天皇・・当たり前だ
(当時もう平成3年だしねー)

そして、おとといでブッシュ大とう領(米)が
湾岸戦争の終結宣言をしたばかりです。

(今思えばこの湾岸戦争って過ちだったよね・・・)

でもフセイン(イラク)はゆるせん!
(やっぱフセインの事まだ気になってるんだ)

それでも、20年後は世界も変わっているでしょう。
(そうね、フセインどころかビンラディンって人も出てきたわ。
それこそ殺されちゃったけど)

ノストラダムスの予言まであと8年。
この手紙を読むまでは絶対死なないわ!

(あったねー、1999年に世界は破滅するって説。なんだったのあれ?)

では20年後のせいこちゃん、20年後に会いましょう。
(うーん、やっと会えたねぇ~。
でもまさか山梨に住んでるとは思いもしなかったでしょ)


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


15歳の割には湾岸戦争が気になってたり、
フセインが許せなかったり(笑)
今の日本の情勢を20年後の自分に教えようとしてるのは
思ってたよりしっかりしてる印象だけど
でも幼稚な文章がやっぱ中3っぽい(笑)
そして将来は環境庁ねぇー。
小学生の頃から動物の本や自然環境の本をよく読んだり興味があったから
それに関する仕事につきたかったのかぁー。
そんなこと、忘れちまったな(爆)
高校3年にはすでに現実を見て「この世を渡るには法律の知識が必要だ」
と法学部に進路を変えたしねぇ。
でも、大学4年の時、一応国家公務員Ⅱ種を受けたんだった!
その頃は地方自治に興味があったからなんだけど
もちろん中3の私が夢見るほど簡単なものではなく落ちました(^^;
でもね、新聞奨学生として朝夕刊配達しながら大学に行って
その合間をぬって自分なりに勉強をし、努力した上での結果だから思い残すことはないの。

湾岸戦争がよく文中に出てくるのは
15年生きてて(当時)、生まれて初めて経験した’戦争’と
名のつくものだったからなのです。
そして15歳の私から見てもフセインは明らかに横暴で許しがたかった・・・と。
でもまさかこの10年後に9.11のアメリカ同時多発テロが起き、
その10年後に当たる今年、テロのリーダーだったビンラディンが
米に殺害されるとは、まさに「20年後は世界も変わっているでしょう」だなぁ。
フセインはもはや過去の人になっていて、
世界情勢は良くなるどころか、テロを戦争で返すもっと悪い情勢になっている気がする。
「平和のための戦争」や「聖戦」など聞こえのいい戦争なんてありえない。
誰かを殺せば、またその家族や関係者が報復をし、
終りの見えない争いがまた延々と続いていくだけである。
15歳の私にはそれを教えてあげたいなぁ~。
世の中白黒つけるだけが確かなことではなく
正しいことをやるんだから悪の相手を倒していいか、
といえばそうではない、ということをね。
・・・これは平和ボケした日本に住んでる典型的な考え方なのかもしれないけど。



あ、最後はなんか堅くなりましたが
突っ込みどころ満載で読んでた手紙でも、この20年を振り返ると思うところもあり
35の私として書いてみたわ。


今、福島に住む子供達は夢を描けているかな?
20年後の自分なんて、あの大震災や原発事故の後には
思い描くこともできないことでしょう。
でも、今を生きることは未来へも繋がっていく。
毎日毎日を大事に過ごして、’今’が過去に変わったと感じた時
大人になった自分が自らの手で道を切り開くことができることでしょう。
だから・・・腐るなよ!!
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by say-na | 2011-06-01 13:58 | ひとりごと

前回の記事からもう20日も経っちゃったのねー。
そして昨日からもう2月か!
はるぼうが来月で年少組が終わりだなんて早いなー。
そういえば、幼稚園の朝と夕方の送迎を初めて3ヶ月が経過するけど
やっぱバス通園の頃と比べると自分の時間が減った気がするわ(^^;

起床してからダンナの弁当を作り、7時半に子供2人を起こし
ダンナをはるぼうに見送らせた後(貴重な父子の交流タイム♪)
子供2人に朝食を食べさせ、はるぼうにはトイレの大を促し
制服の着替えを促し(親はあえてノータッチ)
様子を見ながら親は洗濯物を干し、布団を押入れに片づけて~~、
なんてやってると家を出る9時にあっという間になってしまうー。
これが夏になれば朝起きるのも親子共に早くなるから余裕ができるのかなぁ。

昨日は幼稚園に送った後、
市の広報に「ヒブと肺炎球菌の助成が開始」との記事を読んだので
母子手帳と印鑑を持って役所の健康増進課に手続きに行きました。
「窓口で申請後は接種券(助成券)が郵送」、と書いてあったけど
初日だったせいか窓口で発行してくれました。
有効期限が「平成24年3月31日」とあるので約1年内にその券を病院に持参して
受けに行けばいいんだけど、それ以降は有料になるってこと?
確かに広報にも「助成の実施期間は24年3月31日まで」って書いてある。
それ以降に生まれた子はまた有料に戻るってのもなんかかわいそうだなぁ。
とはいえ、うちは、はるぼうのヒブ1回分とひよりんのヒブ3回分は
既に自己負担で返還はされないけどね。
でも、せっかく細菌性髄膜炎を予防するワクチンが注目されて
必要性が高まっているのだから全額無料とはいかなくても、
妊婦健診みたいに、1回分は無料とかすればいいのになぁ。
今春は市長選があるし、また市の方針が変わるのを期待したいが
民主党政権になってから児童手当がこども手当になり、ばらまきしたのにもかかわらず
国費でまかなえそうにないから地方にも負担を頼む、みたいな事を言い出したから
人口が少なく、会社も少なくて税収が少ない地方都市は
へたに大盤振る舞いできないよねー。


・・・そんなことを思いながら、今回行った役所(白根支所)の2階は
なんと児童館が併設されてるのでひよりんと一緒に遊びに行きました。
同じく予防接種の手続きを終えたお母さんや子供達がちょこちょこ来て
ひよりんもたまには同年代の子と触れ合うのもいい機会だなーと思いました。
いつもはるぼうと遊んでるから、年上の男の子が近くで暴れてても動じないんだけど
ボールプールに入ろうとしたら、先に入ってた同じ年頃の女の子に
「ダメー」みたいに手で押されてて、ひよりんは悲しそうに伏し目がちにしていたのが
へーあんな反応もするんだぁーと母は変に感心してにやけてしまったわ(笑)
はるぼうには「キー!!」と威嚇して叩くのにねぇ。
でもはるぼうが同じ年頃(1歳5ヶ月)の頃は
他の子とおもちゃや滑り台を取り合って叩いたり噛みついたりしてたので
それに比べればひよりんは手がかからないかなぁ。
病院の廊下でひっくり返るのははるぼうはしなかったけど(笑)


・・・たくさん遊んでお昼に帰宅したらひよりんは昼寝。
ま、それを狙ってたんだけどねー。
14時半からはるぼうの体操教室の見学とお迎えなので
今のうちにがっつり眠ってもらわなきゃ。
13時半には起きたのでお昼を食べさせすぐに幼稚園へ。
今日の体操教室は歩きながらボールを上に投げてキャッチする練習と鉄棒、
ホールでマット運動(側転重視)でした。
同じクラスの男の子2人は親が仕事で見学に来ないので
「はるき君のママだー。見ててー」
「あ、はるき君のママー、ぼくも見ててー!」と鉄棒での前転を披露してくれるので
「あらー、上手ねー」とほめながら見てるのがみんなの親になった気分で楽しい(笑)
そんな時はるぼうは気にせず砂で遊んでたりするんだけどねー。
16時に終了した後はスーパーへ。
毎週火曜の体操教室の後はご褒美としてドリンクコーナーでジュースを買ったり
アイスを買って食べてから帰るのだ。
そしてお惣菜を買って帰宅。
あらー、もう17時!!


・・・と、子供2人がいる主婦の1日はあっという間なのでした。
ひよりんが入園する約2年後には家計の事も考え何か仕事をしたいなぁと思っているけど
ダンナはたまに土日出勤だったり、祝日はもともと出勤日なのを考えると
土日祝日完全休みで平日の昼間じゃないと働けないなーと思ったり。
今までみたいに事務や営業事務がいいけど早くても17時半上がりだろうから
ひよりん年少、はるぼう小学校1年生になったばかりで
お互い環境の変化で落ち着かない時に親の帰りが遅くて学童に預けっぱなしってのも
かわいそうかねぇ。
親の私も帰宅後家事に追われてイライラして子供の相手する余裕なさそうだしね。
そんな時こそダンナの協力がいるんだろうけど
いざという時頼れる実家が近くにないってのはやっぱ痛いなぁ。
そんな私は親が共働きだったけど自営業だったせいか
保育所から帰って来てからは親の会社に連れて行かれて適当に遊んでいたり
友達の家に遊びに行ってたりしてたけど30年も昔のことだからできたのかしら。


専業主婦って子供がいると土日休みもないし、寝かしつけるまでが仕事みたいなものだし
子供に時間を取られることで「あー今日も自分の時間がなかったぁ!」
って思ったり、子供と向き合いすぎることでストレスがたまることもあるけど、
子供の成長を間近で見守れるのって幸せなことだなぁーとふと思う時があります。
31歳まで働いていた分、今は育児の時代って割り切るんだ~~♪と思いつつ
やはり現実を見るといつかは社会復帰しなければならない日も近付いているわけで・・・
そんな日が来てもやり残したことがないように
今は目の前のことをやるだけだわ。
でも猶予時間も残り2年と思って今後の方向性を決めたい。。。
最近ユーキャンのCMや広告を見て資格の勉強が気になる毎日。
なにかお勧めがあれば情報求むーー。
1年に1回しか試験がない宅建みたいな国家試験レベルじゃなく
できれば1年に何回かチャンスがあるのがいいなぁー。
子供がいると「自分がやりたい仕事」じゃなく「できる仕事」
で選ぶことが多くなるわ・・・
働くならひよりんを幼稚園じゃなく保育所のほうが夏休みはないし、
延長保育があるからいいんだけど
入園を申し込む時点と保育所に通ってる間は
常に働いてる証明を出さなきゃいけないから
働きだすタイミングに迷うー。
ひよりん年少&はるぼう小1の最初1ヶ月ぐらいは
午前中だけの預かりだから早く迎えに行かなきゃいけないしねぇ。


・・・と考えだすときりがないけど
たぶん、長らく働いてないので社会復帰することに
弱気になってるってこともあるんだけどね(^^:
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by say-na | 2011-02-02 13:45 | ひとりごと

拝啓 三十五の君へ。

昨日、中学時代の同級生、Cちゃんから手紙が届きました。
最後に会ったのはたぶん成人式の後に開かれた同窓会だから
15年ぶりの接点になるのかな?
でも残念ながらその同窓会で再会した記憶がないので
Cちゃんの面影は20年前の15歳だった中学時代までです。

私はいわきLoveだし、帰省すれば地元の友達とよく会ってはいたけど
それは高校時代の友達なのよね。
高校時代の友達って出会った当初はお互い子供だけど
高校卒業すると上京して進学したり、地元に残ったり、と
それぞれの道を進みながらも常に連絡はとっていたので
子供から大人へのステップを一緒に歩んできた感じだけど
中学時代の友達は12歳後半~15歳までのつながりしかないので
大人になってから改めて連絡を取るという気が起きず・・・
実家が中学時代当時から引っ越して変わったので
そのエリアの友達と会うことが少なくなったからねー。


Cちゃんから20年ぶりに突然手紙が来たのも驚きましたが、
実家を出た後、6回も引っ越してるのに
今の住所を突き止めた事にびっくり。
なんでも、私は高校時代の山岳部仲間だった隣高のMちゃんと
毎年年賀状を交わしてたんだけど
そのMちゃんとCちゃんは同じ高校だったので今もつながっていたらしい。
山仲間のMちゃんはお互い地元を出てから17年も会っておらず
年賀状を交わすだけの関係だったので、
年賀状削減の為にもそろそろ切ろうかな・・・と思ってた矢先の事でした。
縁ってどこにあるかわからないものだね。
そのMちゃんは今や僻地医療に当たる女医さんになって
国内だけじゃなく国境なき医師団としてパキスタンに派遣されたりもしてるので
尊敬できる友達の1人。
いつか再会できるのを期待してこれからも年賀状出して行こうっと。



そして20年ぶりに手紙をよこしたCちゃんによると、
今年のお正月休みの時に、前回の成人式以来に中学の同窓会が開かれたとのことでした。
幹事が知っていた私の住所は大学時代に住んでいた千葉のものだったので
私にはお知らせを出すことができなかったとのこと・・・
まぁー、私も中学の同窓会は成人式の時にやってから全然音沙汰なかったので
もう開催しないと思ってて誰にも住所の連絡しなかったから仕方ない。
おかげで私は消息不明になっていて、みんな近況を知りたがっていたと(^^;
Cちゃんはその後、たまたま年賀状をチェックした時にMちゃんに聞く事を思い付き、
私の現住所を聞き出すことができたので
事後報告になってしまったらしい。


そして、同窓会では、中学卒業前に書いた、
「20年後の自分へ」の手紙が担任からみんなに渡されたとか。
そしてCちゃんの手紙に私がいたずら書きでイラストとコメントを書いていたので
ものすごく私の事を思い出したらしい(笑)
すっかり手紙の存在を忘れていたけど、Cちゃんからの手紙を読んで
当時の光景が一気に思い出しました。
15歳当時、35歳になっている20年後の自分の姿なんて想像できずに
みんなで「なんて書くべねー」「とりあえず今の事を書いとくげー?」
なんていわき弁丸出しの会話をしながら原稿用紙に向かって何か書いてたな。
どんな内容を書いたか覚えてないけど、
まさにアンジェラ・アキの
手紙
の世界です。
15歳なんて不器用でいちいち悩んで、
でも未来に向かってまっすぐで一番難しい年頃だけど、
未来の自分に当てた手紙なら素直に打ち明けられているのかしら。




15歳のワタシ。
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前列中央ね。
まさに卒業式の時の写真です。




昨夜、さっそくCちゃんに当てて手紙を書いたので
ほどなくして幹事から私の「20年後の自分へ」の手紙が送られてくることでしょう。
ちょっと気恥ずかしいながらも、楽しみでもあります。
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by say-na | 2011-01-17 12:34 | ひとりごと

おかげさまで。

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本日この世に生を受けて35周年が経ちました。



まず最初にやったこと…

一昨日から夜に熱をだすひよりんが深夜2時半にオムツからあふれるウンチをしたので
そのお片付けさー。
肌着にズボンにシーツにマット…
真夜中の作業は寒く臭かったし、水枕を用意したり着替えさせたり
慌ただしかった・・・
はるぼうが起きなかっただけでも救いかな。


早々から洗礼を受けたわけですが
31歳ではるぼうを出産してから去年夏にひよりんを出産したこともあって
30代はすっかり育児の時代になっちゃったわ。
あっという間に前半戦終了。
今日からアラフォーなわけです。
しかし、前半と同じように過ごしてると
遠いと思ってた40歳が何もしないうちにやって来そうだわ。

はるぼうが小学校に上がり、
ひよりんが幼稚園に入園する時は私はもう37歳。
ひよりんが小学校に入るのを待ってたらもう40歳。
それから社会復帰するのは難しそうな気がするので
ひよりんは幼稚園じゃなく保育所に預けて働きに出ようかなぁと
漠然と考えてたりします。
その為に必要なスキルは何か探して身につけておきたいわ。
まぁー年齢的に、以前みたいに事務狙いは難しそうなので
スーパーや惣菜売り場のおばちゃんか?
でもどんな職場であれ侮らず上を目指したいわ。
単に人の上に立つんじゃなく、フォロー面だったり技術面だったり。
牛の尻尾は楽かもしれんが鶏口になりたい。


30代後半の人生設計ってけっこう難しいかもしれないね。
子供やダンナによってその設計も左右されるんだろうけど
その時その時ちゃんと考えてベストな答えを出せれば
理想の姿とは違っても結果オーライかな(^-^)
頑なにならず、しなやかに人生を生きていきたい。
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by say-na | 2010-10-30 10:50 | ひとりごと

あれから25年・追悼

昨日8月12日は日航ジャンボ機墜落事故から25年を迎えた日でした。
当時私は10歳の小学4年生。
夕方兄とテレビを見ていた時、
ニュース速報で「ジャンボ機行方不明」のテロップが出たのを見て
3歳上の兄が「これは大変だなー」と言ってたのを
「ふーん、そうなんだー」と軽く思ってましたが
速報が段々分刻みに多く出て、夜のニュースでも頻繁に取り上げられてて
子供心に「どうやら大変なことが起きたらしい」
と緊張したのを覚えてます。
特に翌日、ニュースでは墜落現場の残骸が映し出されてて
奇跡的に生存した4名の方をヘリコプターで救出してる映像がとても衝撃的で
私が覚えているニュースで一番古い記憶になっています。
1985年はつくば万博が開かれていて、我が家も行ったんだけど
乗客にはその帰りに事故に巻き込まれた方も多かったそうで
その事も子供心ながらに他人事には思えなかったな・・・



毎年今の時期に新聞やニュースで慰霊登山が報じられてはいたけど
日々の忙しさに、この20年ほどは気に掛けてなかったのですが
2、3年前にふと思い立って
「墜落の夏」「墜落遺体」を読みました。
自分が親になったことで、親や子供達が犠牲となったこの事故の真相を知りたい、
と、何かにひかれるようにこの本を図書館で見つけてから読んだのですが
想像を絶する現場で、改めて規模の大きい事故だったことを痛感しました。
特に「墜落遺体」は遺体確認作業の記述が生々しくて
苦手な方がいるかもしれませんが、
部分だけになった遺体に対してでさえも、
遺族に引き渡してあげる為に献身的に作業をする看護師や医者の姿に
心を打たれました。
墜落直前に家族への思いを走り書きした手紙も
胸に迫るものがあって切なくなります。

今年は事故後25年という節目の年ですが
皮肉なことにJALは破綻してしましました。
結婚してからダンナ実家の長崎に帰省するのに飛行機を利用する機会は増えたので
今まで以上に空の安全を願いたいものです。
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by say-na | 2010-08-13 23:10 | ひとりごと

85.8.12

あの機墜落事故からもう23年ですね。
1985年はつくば万博もあって、
夏休み後半に家族旅行で行く予定になってた私は
ワクワクした夏休みを過ごしていた記憶があります。
当時小学4年生。
両親が共働きで夜7時ぐらいまでは帰ってこないので
兄弟で留守番しながら兄とテレビを見ていたのを覚えています。
たぶんバラエティー番組とかだと思うんだけど・・・
ニュース速報にテロップで「ジャンボ機、消息不明」みたいなのが流れていて
私は気にしてなかったんだけど、何回も流れてて
3つ上の兄が「大変なことになってるみたいだぞ」
と言い出して事の大きさを知ったのでした。
そして間もなくして「墜落」の文字が出てきて・・・
リアルタイムでニュース速報を見ていたので
次の日テレビで映し出された惨状や
陸自のヘリコプターによる大掛かりな救出劇はとても強烈でした。
524名中、4名の生存者しかいなくて
救出された中学生の女の子が「明け方まではお父さんも生きていた」
と言っていて、せつなかったなぁ。
確かその子は看護師さんになったのでした。
墜落するまでにも時間があるから、
遺書を走り書きして残した乗客も多かった。

23年も前の事故というと、もう20代前半の人は知らない人も多いんだろうな。
私にとって、子供の頃見たニュースで一番衝撃的だったので
23年経った今でも遺族の特集とかやってると気になります。
「自分が飛行機で来い、と言って乗せてしまったから落ちた」とか
「本当は違う日に帰省するハズだったのに
急がせてその日にさせてしまったから落ちた」とか、
残された遺族は今もひきずっています。
私も家族ができた今はその気持ちはよくわかるようになりました。
飛行機の墜落だけは車の運転と違って自分の力ではどうにもできない。
生き残るのも、逝ってしまうのも運命、ではあるんだろうけれど
やはり事故はやりきれないなぁと思いました。

そして、23年経ってもこの大きな事故は風化させちゃいけないね。
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by say-na | 2008-08-12 22:58 | ひとりごと

還暦。

昨日、母が還暦を迎えました。
私が高校3年の2月に諸事情で離婚して、
1ヶ月もしないうちに私は大学進学の為千葉に上京して
その後も東京、山梨と住みついちゃって地元を離れてしまったので
母が一番苦労した時代を一緒にいなかったけど、
やっぱ、いろいろあっただろうなぁ~~。
ってか、あったけどね。
そんな父も2年前に亡くなったので、母は唯一の親となってしまいました。
結婚したことによって良い義父ができたけれど(^^)


そんな母の還暦祝いとして、10月下旬に兄、妹家族、我が家の3家族合同で
還暦祝い旅行を予定しているんだけど、
当日に何もお祝いがないんじゃ寂しいだろうと、
兄妹でプレゼントを贈ることにしました。
だって、私も妹も家を出てるし、兄も仕事でしばらく家にいないのです(^^;
誕生日当日に一人ってのもねぇ・・・


リクエストのあったイヤリングを私がチョイス。
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年代的に好きそうな18金にプチダイヤをあしらったデザインです。

カードを付けて、誕生日である昨日の午前中着で送ったところ、
昼にはお礼のメールが届きました♪
夜にちゃんとこっちからお祝いの電話したけどねー。
もちろんはるぼうのおしゃべり付きで(笑)

1年に1回ぐらいしか会えないけど、自分が母親の立場になってみて
母の偉大さがわかる今日この頃。
今年定年とはいえ、まだまだ働くそうなので、
これからも体だけは大事に、いつまでも健康でいてもらいたいものです。
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by say-na | 2008-07-28 23:25 | ひとりごと